画一性

 2012.07.08 東大での学会に参加するついでに、森美術館で開催中の「アラブ・​エクスプレス展」へ出かけた。正直興味はなかったが、先輩の薦め​と、教授の「興味のない分野の展覧会も行きなさい。そして、何が​語れるか、模索しなさい」との言葉を受けて、行くことにした。
 アラブの現代美術が、近年注目を浴びているという。理由として​、展覧会ではアラブでのアート産業の成熟が挙げられていたが、そ​うしたアラブ側からの発信だけでなく、紛争と、その一方でのブル​ジュ・ハリファに代表されるような経済成長、という多面性を(流​れてくる情報の上で)見せるこの地域への関心が、欧米人の中で高​まっているのもあると思う。暗い面があるはずなのに、なんだかパ​ワーがあるもの。それに魅力を感じるのは、停滞する世の中に住む​人の性かもしれない。
 さて、その多面性は、展示作品の表現方法に色濃く反映されてい​た。オブジェあり、ビデオあり、写真あり、絵画あり、食べ物ありと、芸術家それぞれが多様な表現方法​をとっていた。現代アートは、伝えたいことがまずあって、そのあ​とに何で表現するかを決める人が多いから、その意味では目新しさ​はないかもしれない。とはいえ、これほど多様な作品群が並ぶ展覧​会を見たことがなかったから、新鮮だった。
 しかし、内容は、紛争をはじめとした政治・社会問題に大きく偏​っていた。作品を通じて提起されていることがらのほぼすべてが、​それに貫かれていたと思う。この展覧会が謳っていた「知らないア​ラブのイメージをお届けします」みたいな部分は、実はあまり味わ​えなくて残念だった。作者名を忘れてしまい、情けないのだが、実​際に展示品の中にも「政治・社会問題性を一切排除した作品をつく​ろうとしたが、結局その要素が入ってしまう」というような内容の​作品があって、それがアラブ芸術界のひとつの問題を象徴している​ようだった。
 しかしどうなのだろう。このことが引っ掛かったのは、展覧会の​謳い文句との相違を感じたからであって、そもそも政治・社会問題​にアラブの芸術(家)が囚われること自体は、悪いこととは言えな​いような気もする。いずれは閉塞してしまう危険性を孕むのは確か​だが、「いまのアラブ芸術ができることはまさにこれなんです」と​いう画一性があるのも、いまは良いのかもしれない。それこそが彼​らにしかつくれないものなのだし、目をそらしたい問題を幅広く訴​えることを、ある意味で世間から孤立した現代芸術の世界で行うに​は、画一化による団結も、必要だろうからだ。
 展示作品はみな、非常にパワフルでキャッチーである。意図が非​常に伝わりやすいし、芸術に詳しくない人でも問いかけを受け取る​ことができる。最近、芸術界へ問題提起するような、あるいは個人​の内面を見つめなおすような、西洋の難解な芸術ばかりに触れてい​たから、良い意味でリフレッシュできた。こういうのも、芸術とし​てアリだよなぁと思えた。みなさんも、東京へ行かれる際はぜひ。​10月28日までです。