発想の輸出

 京都国立近代美術館で開催中の「KATAGAMI Style」へ行った。古くから染物に使われた型紙は、19世紀​後半に他の日本の美術品とともに西洋へ渡り、人々の注目を浴びる​。ジャポニスムが巻き起こるなか、型紙もまた西洋美術の革新に貢​献し、20世紀の近代デザイン勃興へ貢献した。その様子を切り取​った展覧会、というのが主旨であった。

 展示はまず、伝統的な日本の型紙とそれを用いて染められた着物に​はじまる。続いてそれが西洋に受け入れられていく過程を具体的な​ヨーロッパの作品・デザイン書で見せたあと、最後は現代にも受け​継がれる「KATAGAMI Style」の紹介で幕を閉じる。

 誰しもがまず染物の型紙のモダンさに驚くだろう。繊細につくられ​ているのはもちろん、デザインが今の感覚からしても素晴らしい。​幾何学模様、有名図版の単純化、複雑な構図、主張と謙遜の均衡。​物それ自体を引き立てる役割をちょうど果たす仕上が
りである。そしてそれを巧みに自国文化と融合させた西洋人のセン​スも凄まじい。築き上げてきたものを決して歪めず壊さず、ジャポ​ニスムを昇華して組み入れる様は流石である。

 「KATAGAMI Style」を観に行った日本人なら誰しも良い気分になるに違い​ない。型紙だけを紹介するセクションをはじめに配置したのは展覧​会の見通しを良くするためだろうが、いきなり「日本にもこんな素​晴らしいセンスがあったのか」と良い気分になってそのまま次に行​けるので、これはたいへん憎い。しかも続くのは「日本精神受容の​様子」だから、このところデザイン分野で勝った気があまりしない​(人が多い気がする)日本人の「いつか失くした自信」が復活する​ようで、見ていてちっとも悪い気はしないのである。むしろ清々し​いくらいである。

 という訳で「デザインをする者」の立場にいない僕は、そうした典​型的日本人(注:自己定義)の一員として悠々とこの展覧会を楽し​んだが、現場に居る人たちにとっては進むべき方向性の示唆に富ん​でいたに違いない。繰り返し色々な所で言われることであって、今​や目新しさもないが、日本のモノづくり企業がこの先も世界で生き​延びるためには、発想で勝負するしかないのである。そしてここで​いう発想には、デザインも立派に含まれているのである。

 先日、とある企業でデザイン職に就く方とお会いしたが、その際に​も「発想の輸出」という話になった。どこからインスピレーション​を受けてもよいし、あらゆるものを吸収すればよい。その上で独自​の発想を生み出せるか否かに日本企業の行く末がかかっている。そ​れゆえデザインの担う役割も、これまた非常に大きいのである。今​を時めく数々の会社のように、そしてこの当時の日本のように、発​想で商売ができるようになれば日本の未来は明るい。

 とまぁ薄い知識で日本の未来について語ったが、先述のように素直​に観ればなんだかいい気分になれる展覧会なのは確実である。日本​のセンスってどうなん?古くない?という人には特にオススメ。8​/19まで。